僕の秋休み2023 〜昭和池〜

小倉南区にある「昭和池」は、北九州市内最大の農業用水ダム。

その大きさは、周囲2.5キロメートル、面積11.6ヘクタールで、今はなき「スペースワールド」(駐車場を含む)の敷地のおよそ半分という、非常に大きな池です。

たくさんの緑に囲まれています。池の周辺は整備されており、「昭和池公園」という名前で市民にも親しまれています。

僕の秋休み2023 〜JR小倉駅〜

政令指定都市でもある北九州市最大の駅で、JR九州内では福岡市の博多駅に次ぐ利用者数と本州と九州の接点として九州の玄関口の機能を有し、山陽新幹線の全列車が停車します。

駅の南口にはバスターミナルがあり、モノレールがバスターミナルの頭上から駅構内に直接乗り込んでいます。また、銀河鉄道999で有名なメーテルや鉄郎の像、小倉祇園太鼓の像などのオブジェも点在していて、見どころも豊富な駅です。

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僕の秋休み2023 〜綱敷天満宮〜

綱敷天満宮は、学問の神様、天満大神菅原道真公を祀り、地元では須磨の天神さまと呼ばれ、学業成就にご利益があると言われています。

その昔、菅原道真公が九州に渡るおり、須磨の浦に立ち寄り、須磨の漁師が造った大網の円座で休憩したと言われ、それにちなみ、菅原道真公の死後にこの地に創建されました。

道真公はここでしばらく休養され筑紫に向かわれ、後に豊後国主木下延俊両公によって現在の社殿が造営されたと言われています。

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僕の秋休み2023 〜金鱗湖〜

金鱗湖は由布院を代表する観光スポットの一つです。

明治初期の儒学者・毛利空桑が、湖で泳ぐ魚の鱗が夕日で金色に輝くのを見て「金鱗湖」と名付けたといわれています。

湖に清水と温泉が流れ込んでいると言われ、年間を通じて水温が高いため、冬の早朝には湖面から湯気が立ち上る幻想的な光景を見ることができます。

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僕の秋休み2023 〜湯布院町川上〜

湯布院町は、大分県のほぼ中央に位置し、大分郡に属していた町であり、町内に3箇所の温泉地があります。歓楽街を廃した町並みは「東の軽井沢、西の湯布院」といわれ、女性に大変人気があります。

同じ温泉の町でも、歓楽街が多く、夜に賑わいをみせる別府市とは対照的な印象であり、他の温泉地に見受けられる、規模の大きい旅館が存在しないのもこの町の特徴です。

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僕の秋休み2023 〜合元寺〜

合元寺(ごうがんじ)は1587年、黒田官兵衛孝高によって建立されました。

深紅に塗られた壁は城下町・中津の中でもひときわ強烈な印象を与え、別名・赤壁寺とよばれています。

豊臣秀吉の時代、豊前の実力者だった宇都宮鎮房(しげふさ)が騙し討ちに遇い、この寺を宿舎にしていた家臣たちも全員討ち死。その時の血潮を浴びた門前の白壁は何度塗り替えても血痕が浮き出るため、ついに赤壁に塗り替えたといわれています。

当時の激戦の様子は現在も境内の大黒柱に刀の痕が点々と残されています。

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僕の秋休み2023 〜福澤諭吉旧居〜

福澤諭吉旧居は、福澤諭吉が幼少年期を過ごした大分県中津市にある旧居です。国史跡。

今日の文明国の土台を築いた福澤諭吉は、偉大な教育者であり、思想家です。福澤諭吉旧居は、諭吉が長崎に遊学するまでの幼少青年期を過ごした家で、自ら改造し勉学に励んだ土蔵が残っています。

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僕の秋休み2023 〜中津城〜

中津城は福岡県と県境にある中津川の河口沿いに位置しており、北は周防灘、西は中津川に面し、東は二重、南は三重の堀をつくり、外堀には「おかこい山」と呼ばれる土塁をめぐらせていました。

水門から海水が入って堀の水かさは潮の干満で上下する水城で、高松城、今治城とともに日本三大水城の1つに数えられています。また、城郭の形が扇の形をしていたことから、「扇城」とも呼ばれています。

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僕の秋休み2023 〜七ツ釜〜

七ツ釜は、佐賀県唐津市屋形石に位置し、上場台地が玄界灘に落ち込む場所です。玄武岩の柱状節理が発達していることで知られています。

1925年に国の天然記念物に指定されており、7つの海食洞があるということから「七ツ釜」と名付けられましたが、実際には7つ以上の洞があります。呼子からは観光船が出ていますが、入口から数mまでは観光船が中に入れる程の大きさのものもあります。

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僕の秋休み2023 〜唐津城〜

唐津城は、豊臣秀吉の家臣、寺沢志摩守広高によって慶長7年(1602年)から7年の歳月を費やして築城されました。東西に伸びる松原が両翼を広げた鶴のように見えることから、別名「舞鶴城」と呼ばれています。

その城主には寺沢、大久保、松平、土井、水野、小笠原の諸氏が任ぜられています。

唐津城築城当初は、天守閣はありませんでしたが、昭和41年(1966)に文化観光施設として天守閣を建てました。天守閣内は郷土博物館になっていて、唐津藩の資料や唐津焼などが展示され、唐津の歴史に触れることができます。また、展望所からは玄界灘と虹の松原の雄大な景観や、松浦川と城下町唐津の風景を見ることができます。

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